『アーモンド四行詩』予言解読 その1

 ふと、一時期、話題になったH.G.ウェルズの『アーモンド』四行詩を思い出し、通勤中にずっと考えていた。整理していこうと思う。

1.はじめに

アーモンドの花(wiki)
Almond blossom in the spring sunshine
Fuji-Yama gracious lady
Island treasure home of lovely things
Shall I never see you again?...  
アーモンドの花が咲き誇る 春の太陽の光の中に
富士山 優雅で美しく凛とした女性
宝の島 かわいい者達に満ちた家庭
僕はそれ等を もう決して見る事は出来ないのだろうか?

  『The Shape of Things to Come(邦:世界はこうなる)』は、イギリス人作家のH.G.ウェルズが1933年に発表した、2106年までの出来事を推測したSF小説である。

H.G.Wells(1866~1946)

Shape of Things to Come (1933)

 ”第一次世界大戦を経験した当時のヨーロッパは、長い経済不況が原因で荒廃し、疫病が蔓延して新たな戦争が起きる。強力な空軍を持つ国家が戦争に終止符を打つ。独裁政権が国家分裂を廃止させ、英語の世界言語化、科学の発展・教育、宗教の撤廃を実現して世界平和をもたらす。世界市民は平和的に独裁政権を退陣させ、ユートピアを維持できる人材発掘に努める・・・。”と、言った内容である。 

 一部では予言書のように扱われているが、”ガス兵器”など当時でも予測可能なものだけが的中しており、年代等は外れているものがほとんどである。映画化もされたが、『タイムマシーン』や『月世界最初の人間』などに比べたら決して有名なものではない。



  この小説が、日本で一時期(ちょっとだけ)盛り上がったのは、ノストラダムスの大予言で有名な五島勉氏が、数十年ぶりに『H.G.ウェルズの予言された未来の記録』と題した本を発表したからである。予言ファンにとっては久しぶりの五島節が聞けて楽しめたものである。(本はすぐ売っちゃいましたがw)

 その中で、「アーモンド四行詩」の翻訳に関するいきさつが問題になった。

 邦訳の『世界はこうなる』(吉岡義二訳) が発売されたのは1959年。戦後復興から、日米安保条約が結ばれた時節(1951年締結、1960年に改定)のはなしである。翻訳した吉岡氏に、以下のようなお願いがあったらしい。

「おお、あの詩に手を出してはならん。特に日本人は手を出すな。
 世の中には日本人が知らん方が良い事もあるぞ。日本の事を思うなら、あの詩をあのまま日本語に訳すのは止めろ。君のためだぞ。」

「ミスター・ヨシオカ、貴殿のウェルズ作品の翻訳の成功を祈ります・・・。ただ、あのアーモンドの詩を、あのままの形で訳してひろめるのだけは、止めていただけないでしょうか。決して悪い意図で言うのでは無い。あの詩があのままの形で訳されて日本に広まると、間違ってとられるリスクがある。だから日本の未来のため、世界の未来のために、あの詩の訳にはアーモンドという言葉を入れずに訳して欲しい。また、なるべく無意味な、つまらない詩として扱って欲しい。それさえ受け入れてくれれば、後は全部、貴殿の好きな様に訳して構わない。それについて、我々も今後一切、何も申しません。アーモンドの入らないつまらない詩にして下されば・・・。」

「その場合、貴殿はその邦訳本を出せなくなります。我々にはそれを出せないようにする力があります。しかしこれは強制では無くお願いです。あの詩の訳にアーモンドという言葉を出さない。あの詩全体を目立たなくする。その二つだけを我々はお願いするのです。」

「理由は知らない方が宜しいと思います。何しろあれはナンバーズの秘儀ですから。」

 
 このせいで、当時の四行詩は、「アーモンドの花」を「桃の花」に変えざるを得なかったらしい。



アーモンドの木(wiki)

・・・日本と言えばサクラ。サクラはバラ科サクラ属。

サクラの木(円山公園

(遠目で見たら、おんなじやないかーい。)

  アーモンドもバラ科サクラ属である。単にウェルズはサクラのことを言おうとしただけ、ということかもしれない。(ちなみに桃の木はバラ科モモ属)。

 ・・・

 ・・・と、それでは話が終わってしまうので、吉岡氏へのお願いのはなしが真実である、という大前提のもと、進めていく! 


2.ヴィジョン
free photos
”特に日本人は手を出すな。”
 五島勉氏の著作『H.G.ウェルズの予言された未来の記録』では、アマゾンのレビューにもあるように、”あんまり踏み込んでない”。最終的には、上記の文言を一番に解釈して、20世紀末に流布した、”日本人は神人になる”、”東方(日本)から救世主が現れる”、”日本の役割は世界的に重い”、”旧約聖書の預言が成就するには、日本がカギだ”、と言った、選民思想を好意的に捉えた考えを回想するものであったと記憶している。(最後に不安を残したまま読者に希望を持たせる形で終わらせる。”)

 しかし、
”・・・だから日本の未来のため、世界の未来のために、あの詩の訳にはアーモンドという言葉を入れずに訳して欲しい。”
 吉岡氏へお願いした人物は、”世界の未来のために”と言っており、日本人”だけには”真実を知ってほしくない、と言ったわけではない。日本人は”特に”知らない方がいい、と言っただけなので、当ブログで選民思想に結び付けることは、ない。
”あの詩があのままの形で訳されて日本に広まると、間違ってとられるリスクがある。”
 ・・・間違ってとられるリスクとは何か、真実とは何か。そもそも当時(1959年)はダメで、現在(2013年)はOKである理由は何か。
”何しろあれはナンバーズの秘儀ですから。”
 五島氏の著作では、旧約聖書の民数記(Numbers)の事だという。アーモンド四行詩の核心部分であることは間違いないが、そこから踏み込めず、しあさってな方向へ行ってしまった。小生は、人智学を基にして、結論(仮説)を提示しようと思う。

アーモンドの花(wiki)
 
 四行詩を良く理解するために、ウェルズの著作を見ていきたい。

Shape of Things to Come (1933)

 おおまかな内容は先に述べた通り。しかしその体裁は、独特のものがある。 

 それは、ウェルズが未来に関する自分の考えをただ述べるというものではなく、架空の有名外交官フィリップ・レイブン(Dr.Philip Raven)が、夢の中で2106年に出版された歴史の参考書を見た内容などを本にした、というものである。

 まるで、(先祖返り的な)霊視をしたかのように。

 当時のイギリスでは、霊媒(エクトプラズム)を用いたサークルが流行っていたようで、ウェルズも似たようなオカルト的着想に基づいてSF小説を書いたのかもしれない。20世紀初頭のヨーロッパでは精神運動が盛んで、神智学、人智学、フリーメーソン等、様々なグループが結成、分裂していた。ウェルズがいたロンドンにも、これらのグループに所属していた多くの人達が存在しただろう。ウェルズの著作の内容から、ウェルズがメーソン会員であったと主張する陰謀論者は多い。メーソン協会は否定している。小生は、ウェルズは全く別のサークルに所属していたと推測する。

【夢】・・・アストラル体が物質的身体から離れていながら、エーテル体とは結び付いている状態で、夢が現れる。・・・目覚めて物質的身体を意識する前に、過去の記憶を含むエーテル体がアストラル体と個我の体験を受け取るので、夢は未来を予言できる。・・・夢を高次世界の啓示と見るのは不正であるが、修行の結果、夢の性格は変化し、意識の深い層で高次世界に由来するものが体験される。 

 小説内では、外交官レイブンは冒頭で突然亡くなり、彼の遺品である夢(ヴィジョン)を記録した大量の紙を整理して、ウェルズが発表した体裁をとっている。

 小説は5つのパートに分かれている。

1.Today and Tomorrow: The Age of Frustration Dawns
  1933年までの近代ヨーロッパについて。第一次世界大戦、国際連盟の失敗についてなど。

2.The Days After Tomorrow: The Age of Frustration
 1933~1960。 旧態教育への批判、日本の戦争参加など。アーモンド四行詩

3.The World Renaissance: The Birth of the Modern State
 1960~1978。理想的社会の実現へ、新たな革命など。

4.The Modern State Militant
 1978~2059。反乱、世界評議会など。

5.The Modern State in Control of Life
 2059~2106。英語の世界言語化、病気からの解放、80歳まで若々しくなる、精神の自由など。

 ウェルズのこの小説は、アルバート・パイクのような、実現しなければならない世界支配計画のかたちを取っている分けではない。むしろ、当時の情勢を踏まえ、どうやったら真の平和がくるのか、知識人として逡巡している。事実、ウェルズは国際連盟が国家単位で形成され、戦勝国の利益のみを追求する組織にさせた人物を、小説内で激しく批判している。”bleak and futile idealist, Woodrow Wilson”(不毛で無意味な理想主義者、ウッドロー・ウィルソン)”。シュタイナーも、講演でこのアメリカ大統領のことを、割とケチョンケチョンに批評している。”政治の分野で、車の中にいて車を押し動かそうとした若者とまったく同じ考え方をしている”(『悪について』)。

 アーモンド四行詩があるのは、第二章 ”The Days After Tomorrow: The Age of Frustration(1933~1960)”、9節 ”The Last War Cyclone, 1940-50”である。

 この第二章には、当時の日本についての言及がある。
”当時の覇権国家の中で、日本の行動が(世界の不安定化において)最も決定的だった。1931年に起きた日本国内の革命は、政権を軍国主義者のグループの手に渡してしまった。由緒ある日本の様式に従えば、外交上、悪辣で、きわめてセンチメンタルなものであった。(満州事変のこと。)この政権はとてつもない野心を抱く一方で、正確に物を見る目が著しく欠けていた。まるで19世紀ヨーロッパの好戦的帝国主義の戯画のようであった。この支配者グループの頭の中は、未だロマンチックで、国の支配と栄光をいかに実現するかでいっぱいだった。そのような考えは、これまで存在したキリスト教世界の支配者の上をとっくに通り過ぎたにも関わらずである。日本の軍事政権はナポレオンの遺物であった。彼らの外向的な欺瞞と茶番はヨーロッパの最高の先例に習ったものであったのだ。「さあ、日本の番だ」と。”
2-5.『The Fading Vision of a World Pax: Japan Reverts to Warfare』から意訳

 ・・・完全に見透かされていましたやん。

 現代日本は、軍国主義の亡霊が、アメリカの手のひらの上でずっとダンスを踊っている。

 さて、アーモンド四行詩のあるThe Last War Cyclone, 1940-50”の節を、詩に直結する箇所だけ紹介する。
”レイブンの歴史資料の中には、武昌から敗走中に殺された日本兵の日記がある。同じような境遇にあったヨーロッパ兵の資料は見つからなかったが、近代戦争を戦うことがどうゆうことか分かるかもしれないので紹介しようと思う。残念なことに、日記はあまり鮮明に書かれてはいなかった。この日本兵は知性的で、社会主義者であり、国際連盟の熱心な信奉者だった。中身は主に、一見それとはわからないように暗号を用いて書かれており、軍事作戦への手厳しい批判ばかりであった。しかし、終わりの方になるとその批判もなくなっていった。日記には、彼がどうやって食べ物や飲み物を確保したか、インフルエンザや赤痢にどう対処したかについて、不完全ながら書かれるようになった。彼には共にした仲間がいたようであった。仲間のための食糧運搬について二度記録しており、殺されたか行方不明になった友の名を書き留めていた。残りの弾薬量か何かについての記録もあった。彼は、殺された時にはすでにひどく痩せこけていた。衰弱するにつれて、これまでどおり暗号を用いて書くことが難しくなったようだった。間違いだらけの英語で書くようになり、ついには普通に日本語を書くようになった。最後の時に彼が書いたものは、未完成の詩だった。古風な書き方をしていて、次のようなものだった。

アーモンドの花が咲き誇る 春の太陽の光の中に
富士山 優雅で美しく凛とした女性
宝の島 かわいい者達に満ちた家庭
僕はそれ等を もう決して見る事は出来ないのだろうか?

何かが、おそらく死が、彼の繊細な詩句の完成を阻んだ。彼と彼の所属した部隊はまもなく壊滅させられ、開封付近で死に追いやられてしまった。”
2-9.『The Last War Cyclone, 1940-50』から意訳
 
 詩と、日本兵に関わる前後の文章が、”ナンバーズ(民数記)の秘儀”に関連している。

 四行詩は完成しておらず、この架空の日本兵は、日本へ帰還することができず、中国の開封で死んだ。富士山を再び見ることは、できなかった。この点がとても重要だろう。


3.ユダヤ世界

開封のユダヤ人(wiki)

 四行詩と民数記との関連を整理する前に、日本兵が息絶えた開封の地にいる、ユダヤ人コミュニティーについて触れておきたい。
【開封のユダヤ人】・・・歴史資料によると、開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していた。開封のユダヤ人の先祖は中央アジアから渡ってきたと推測されている。・・・
 中国にもユダヤ人コミュニティーが存在していることは、17世紀初めにイタリアのイエズス会の司祭、マテオ・リッチが開封出身のユダヤ人に会うまで、広く知られてはいなかった。1605年にリッチは艾田という名の開封出身の若者と出会い、艾田はリッチに自分が一神教の信者であると説明した。また、艾田はキリスト教の幼いイエス・キリストを抱いた聖母マリア像を見て、旧約聖書のリベカと、その息子エサウまたはヤコブの像だと信じ込んだとも記録されている。艾田は自分が開封出身で、そこには多くの同胞がいると言明した。リッチは最初に開封へ中国人のイエズス会員を派遣したのをはじめ、その後も多くの会員を派遣した。これにより、開封のユダヤ人コミュニティーには 禮拜寺 と呼ばれるシナゴーグがあり、豊富な宗教文書を有していることが発見された。1850年代の太平天国の乱で、コミュニティーは一度離散へと向かったが、その後ユダヤ人は再び開封に戻ってきた。・・・
 開封のユダヤ人や中国のユダヤ教の研究は、政治・文化の改革が始まった1980年代初めまで停滞していた。1992年には中国とイスラエルの外交関係が樹立されたことを契機に、ユダヤ教や中国とユダヤ人との関係史への関心が再燃し、とりわけナチス・ドイツ時代の25,000人ものユダヤ人の上海への疎開の事実などにも改めて光が当てられた。・・・
 ティベリウ・ワイスによれば、バビロン捕囚の後紀元前6世紀に、異民族との婚姻を理由に預言者エズラにより追放され、インドの北西部(「天竺」)に移住した支族レビ族と司祭の一族が、開封のユダヤ人の起源であるという。・・・(wiki
開封(Kai-feng)(wiki)

 開封のユダヤ人コミュニティーは、17世紀にイエズス会の司祭が接触するまで、ヨーロッパには知られていなかったらしい。この頃の日本も、鎖国が始まるまではイエズス会との交流があり、古代ユダヤ民族の足跡を、日本でも発見したのかもしれない。 

 日本兵を開封で死なせたのも、ユダヤ世界の人々にだけわかるようにしたヒントかもしれない。そして、日本を東の最果ての地、約束の地に見立てたのかも・・・? 

PriestLevite, and furnishings of the Tabernacle(wiki)
民数記】(英:Book of Numbers)・・・旧約聖書中の一書で、伝統的に四番目に置かれてきた。モーセ五書の一つ。イスラエルの民の人口調査に関する記述があることから、七十人訳聖書では『アリスモイ』(数)と呼ばれ、そこから民数記という名称が生まれた。・・・物語は出エジプトの出来事から二年二ヶ月後に始まり、ヨルダン川にたどりつくのが40年目であるとしている。(wiki

 神学を学ばれた専門家によると、民数記の主題は”神の民の訓練”である。”約束の地を仰ぎ見て生きること”の大切さを伝えている(牧師の書斎)。

 五島氏の著作で言及された「アロンの杖」は、民数記の17章にある。
17:1主はモーセに言われた、 17:2「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、 17:3レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。 17:4そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。 17:5わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、”つぶやく”のをやめさせるであろう」。 17:6モーセが、このようにイスラエルの人々に語ったので、つかさたちはみな、その父祖の家にしたがって、おのおの、つえ一本ずつを彼に渡した。そのつえは合わせて十二本。アロンのつえも、そのつえのうちにあった。 17:7モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
17:8その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどう(アーモンド)の実を結んでいた。 17:9モーセがそれらのつえを、ことごとく主の前から、イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、彼らは見て、おのおの自分のつえを取った。 17:10主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対する”つぶやき”をやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。 
民数記
 先の「牧師の書斎」によれば、アロンの杖から芽がでた奇跡は、神による民の不平を鎮める方法だという。そして、文中の”つぶやき”には聖書的に意味があった。
”神によって指導者として選ばれたモーセとアロンは、イスラエルの民によって、常に、妬みの対象となりました。それは彼らに対する「不平、つぶやき」という形で表われました。新改訳は「つぶやく不平」と訳していますが、口語訳は「つぶやく」、新共同訳は「不平」と訳していますが、新改訳はそれらをあわせて「つぶやく不平」と訳しています。「つぶやく不」と訳されたヘブル語は「ルーン」(לוּן)ですが、この動詞は不思議です。本来の意味は「泊まる、夜を過ごす、とどまる」で、その強意形のヒットパエル態は詩篇91篇1節では、全能者の陰に「宿る」という神との親密なかかわりを示す意味を持ちながら、同時に、「つぶやく」「不平を言う」という全く逆の意味をもっているのです。”
 アーモンド四行詩のある第二章のタイトルは、
The Days After Tomorrow: The Age of Frustration
 であった。不平≒欲求不満(Frustration)の時代と題していたのである。この本は、旧約聖書の民数記などにリンクさせている可能性が高い。だから、翻訳家の吉岡氏に脅迫めいたお願いをした人物が、「ナンバーズの秘儀」 と言ったのは、デマだと一蹴することはできない。
 
映画「Things to Come」のポスター

 H.G.ウェルズの「The Shape of Things to Come」は、ユダヤ世界の人々にだけ分かるように書いた、現代版の預言書かもしれない。探せば他にも旧約聖書とリンクしたキーワードは出てくるかもしれない。しかし、小生は人智学的に既に結論(仮説)を出しており、探そうとすると膨大な時間と労力が生まれるであろうから、今回は止めておくw

 そもそも、この本の世界は、人智学的にみると、神(キリスト)の意にかなったことではなく、闇の霊の計画である。

 つづく。
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『アーモンド四行詩』予言解読 その0 
『アーモンド四行詩』予言解読 その1
『アーモンド四行詩』予言解読 その2
『アーモンド四行詩』予言解読 その3
『アーモンド四行詩』予言解読 その4(終)


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