予防接種以後

 著作『予防接種以後』(2024年1月17日初版)の短縮版をここに公開中です。

予防接種以後


『予防接種以後の人類へ』


.はじめに

数少ない友人の間で、私はすでにこれらのことを話しています。唯物論の時代は、ある種のサークルの活動を通じて、人類の精神的発達をすべて麻痺させ、排除し、単に気質と性格によって精神的なものをすべて拒絶し、それを愚行と見なすところまで人間を引きずり込もうと努力しています。

このような傾向は   今日、一部の個人にはすでに見られますが   強まるでしょう。人々は実際に、精神的なものが普遍的に狂気、気違いであるとみなされるときを切望するようになるでしょう。ウイルスが病気から身を守る手段として発見されたように、ある種の予防接種によって人体に影響を与え、魂の精神的性向に場所を提供しないようにするのです。人間は精神的な考えに対するいかなる素因からも免疫されるでしょう…。少なくとも、そのような努力がなされるでしょう。予防接種によって、幼少期でさえ、人間が精神生活への衝動を失うようにしようとするのです。”

1917

https://wn.rsarchive.org/GA/GA0178/19171106p01.html


 この言葉は約百年前、ヨーロッパで活動した哲学者、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)が語ったものです。「予防接種」は2019年末頃に端を発する世界的な予防接種運動のことではなく、これまでの予防接種全般のことである点に注意してください。

 日本におけるシュタイナーと言えば、全人教育を目指す「シュタイナー教育」として僅かに認知されている程度でしょう。しかし、シュタイナーが人類にもたらした最も偉大な功績は、エソテリシズム(秘教)を公開したことでした。


 人類が未だ十分に成熟していなかった時代には、エソテリシズムを公開することは悪影響があったため隠されてきました。約百年前に人類はエソテリシズムを知る必要性がある段階に既に達し、シュタイナーをはじめとした「秘儀参入者」たちによって公開されたのです。現在、公開されたそれは「精神科学」と呼ばれています。相当な誤解と偏見を内外に抱えながらも、精神科学は人類に福音をもたらすために発展していくでしょう。

 しかしながら、人類のほとんどは、今もって精神科学を無視し続けています。

 人類が恒常的に予防接種をおこなうようになってから、数世代が経過しました。予防接種を一度も受けたことがない日本人は、ほとんどいないのではないでしょうか。そうして今では最新技術による世界的な予防接種がおこなわれるようになり、「ある種のサークルの活動」は、着実に成果を上げている、と言えます。「人類の精神的発達をすべて麻痺させ、排除し、単に気質と性格によって精神的なものをすべて拒絶し、それを愚行と見なす」ことに成功しているのです。

 ここ数年、ワクチン接種の有無で社会は分断されました。なぜワクチン接種の闇に多くの人々が気づかないままでいるのか、また、気づいてはいても非科学的な妄言をまき散らすような人々がなぜ増えているのか、目の覚めた読者の方は、上記の引用文を読んだだけでも、ある程度の解答が得られることでしょう。

 『予防接種以後の人類へ』では、シュタイナーが語ったこの言葉を深く掘り下げていこうと思います。唯物論とは何か、ある種のサークルの活動とは何なのか、説明しようと思います。


.基礎知識:人間の構成要素

なぜ予防接種によって、人間の霊的な素質や精神的な特性が失われてしまうとシュタイナーは述べたのでしょうか。このことを理解するために、精神科学的な人間の構成について説明させてください。

人間は大きく分けて四つの構成体から成り立っています。肉体、エーテル体、アストラル体、そして自我です。生命のない鉱物に命を吹き込むのがエーテル体で、植物は物質体とエーテル体とを持っています。

アストラル体は人間の思いの担い手である心のことであり、エーテル体を構築し動かします。動物はアストラル体まで持っています。人間はこの上に自我を持ち、「私」と言える自意識を持っています。

現代人の自我の在り様は個人差があります。もしあなたが、ペットと自分の子供との違いを物質生体的にではなく、精神的に説明することができないなら、自我の発達が危険域にあるかもしれません。お釈迦様やムハンマド、イエス・キリストなどの人類の指導者は自我が先駆けて発達していました。本論を展開するにあたって、自我については特段取り上げません。

エーテルとアストラルの関連性を簡単に説明します。物質はただ風化し、崩壊していきます。植物以上の存在は、エーテルのおかげで生命を持つことができます。植物は地に根を張り、上方向に成長し美しい花を咲かせます。エーテル体は、重力に逆らい太陽に向かう力を持っています。対してアストラルは、星々の彼方から降り注ぐ高次の力です。人間はエーテル体によって生命体となり、アストラル体によって全宇宙とつながることができます。宇宙の本質は愛です。

この地表で人間だけが、二の足で直立しています。地球は人間の霊魂ために、学びの場を提供してくれているのです。



.エーテル・電気・原子・思考

エーテルについて説明していきます。数百年前の人類は、エーテル体を看取できました。現代人は、エーテル視力を失う代わりに、不完全ながらも論理的思考力を獲得しています。

人間は思考するとアストラル体によって頭部のエーテル体がうごめきます。ギリシア神話に登場する髪が蛇になったメドゥーサは、頭部のエーテル体を表現したものです。

アストラル体によってエーテルが動かされると、神経シナプス間で電流が流れます。したがって、脳内のエーテル活動、つまり思考は、電気と関連していると言えます。

原子は、45年前まで、オカルト科学を除くすべての外的な科学に誤解されていました。それは、空間における質量を持つ実質であると考えられていました。最近では、この物理学上の原子が、氷の塊が凍った水であるのと同じように、電気の力と同じ関係にあることが認識され始めています。水が凍って氷になると考えれば、その氷もまた水であり、同様に考えれば、物理学上の原子は凍った電気にほかなりません。<略>

この事実は、何千年ものあいだ、オカルティストたちに知られていたことです。そして今、原子が電気を凝縮したものであることに気づき始めています。しかし、もうひとつ、電気とは何かということを考えなければなりません。それはまだ知られていません。現代人は、電気の本当の性質はどこに求めるべきか、ということに無知なのです。この電気の性質は、外的な実験や観察によって発見されることはありません。しかし、いずれ発見されることになるその秘密とは、電気が、あるレベルから見ることを学んだとき、人間の思考とまったく同じものであるということです。人間の思考は電気と同じものなのです。一方は内側から観察され、もう一方は外側から観察されたものなのです。”

1904
https://rsarchive.org/Lectures/GA093/English/RSP1985/19041216p01.html


神智学者リードビーター(C.W.Leadbeater, 1854-1934)は、原子の時を止め、空間を超えて透視した成果を著作で発表しました。それによると、物質は個体・液体・気体に分別されるだけなく、気体より精妙な状態における「エーテル原子」の振る舞いが存在し、そのエーテル状態も精妙さによって数段階に区分することができ、いよいよ区分できない状態になると、そこにハート形の「究極原子」が存在する、というものでした。究極原子は、紐、波が幾重にも螺旋を描くように形作られていました。

物質を細かく分解し、さらに分解して、波の世界に没入し、さらに波すらも分解していく…。このような捉え方は、正しいのでしょうか。結局のところ、人間の概念の及ぶ範囲のモデル図を描いているだけではないでしょうか。

どんな物質も光が濃縮したものです。物質を解消し、より精妙な状態を見ようとするならば、そこに神的なものを見ようと努めなければいけません。エーテルは物質に命を吹き込むので、生命的行為であり、神々の行為です。水は神々の諦念が、空気は神々の徳性が、熱は神々の供犠の至福が物質界に表現されたものです。物質を分解しても、結局のところ波としか表せないのは没生命的で、冷たく、エーテルの否定でしょう。現代人の一般的な思考様式では、物質と精神のあいだが捉えられないのです。

このように、物質を小さく分解していっても、そこに神的なものを看取しようとしない傾向を、唯物論、あるいは唯物主義(materiallism)と言いますこの唯物論はヨーロッパ、とくに英米が発展させた現在の文化です。基本的に現代人は唯物論に侵されており、克服する課題が与えられています。人間には精神があるのに、精神を看取しようとしない傾向が現代は強く、ますます強くなっていきます。

今世紀の予防接種運動は唯物論がもたらしたものです。唯物論の概念のある社会は、それを幾分か警戒することができました。しかしその概念の弱い社会は、何の警戒心もなく予防接種を受け入れました。それが欧米よりも東アジア(モンゴロイド圏)で接種率が高くなった理由の一つです。

ですから、唯物論を克服することが急務なのです。物質と精神のあいだに、橋を架ける必要があるのです。



.物質と精神のあいだ

現代科学は、唯物論を発展させるのでしょうか、それとも神的なもの、少なくとも倫理観を、人間社会に流し込もうとしているのでしょうか。

現代の科学者は既に原子の秘密を一部解明し、核爆弾を作ることに成功しました。約百年後、今度は遺伝子改変技術を生み出しました。ここ数百年の歴史を振り返った時、無邪気な科学者の探求は、とうに危険域を越えているように見えます。

 数は少ないでしょうが、倫理観が卓越した科学者の中には、物質と精神のあいだに橋を架けようとしている方がいます。その一人が、エイズウイルスを発見した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞したモンタニエ博士(L.Montagnier,1932-2022)でした。騒動の最中、最も誤解された科学者の一人でした。

博士は、研究の過程で希釈したDNAから微弱な電磁信号が発せられていることを観測しました。博士はろ液の入った試験管をソレノイドコイルに通して測定すると、1,000Hz3,000Hz帯の電磁信号を検知しました。


電磁信号を発する試験管の傍に純水の試験管を置き、7Hzの周波数帯にさらすと、純水からも電磁信号を観測しました。つまり、ある一定の環境下で、電磁信号からDNAの物質化に成功したことになります。

 どうして予防接種に関する考察について、このようなことをお話ししなければならなかったのか、お判りいただけるでしょうか。それは、ウイルス学や分子生物学などの最新医学が、エーテルの世界に踏み込まなければ、正しい感染対策や治療法を見いだせなくなる時代に突入した、と思うからです。

 コロナウイルスは原子の僅か千倍ほどの大きさしかありません。最新医学は、原子とエーテルの関係性を考慮にいれることができていません。モンタニエ博士は唯物論的な既成概念を超えて、物質と精神のあいだの世界まで解明しとうと努めたと言えます。

コロナウイルスに関する感染対策が各国で混乱しているのも、感染のメカニズムが説得力に欠けているからでしょう。つまり、コロナウイルスの空気中や血液中でのふるまいを正確に解明しているとは言えず、エーテルの二次的側面を電気として観測しているように、エーテルが濃縮した物質の、体内での外的在り様しか分からない、ということだと思うのです。

このことを解明しないと、人類の未来は悲惨なものになる可能性があります。なぜなら精神科学によれば、コロナウイルスは、そして最新型ワクチンが発現させるスパイクタンパクは、人間の物質的身体というよりは、アストラル体を攻撃するからです。



.コウモリの発散物

“…コウモリの飛んだあとにはいつも彗星のような尾があります。コウモリは霊的な実質を放つのですが、それを宇宙に送り出さずに、地球の物質的実在に突き返します。空気中に推し戻すのです。肉眼でコウモリが飛び回るのを見るのと同じように、コウモリから発せられた霊実質が、空中を飛び回り、そよいでいるのを霊視することができます。空気は酸素や窒素などの成分だけで構成されているのはなく、コウモリの霊気も含まれているのです。<略>

地質学では、地下にある物質のうち、お粥のような柔らかい粘性を持つ岩塊をマグマと呼びます。コウモリの発散物も、空中における霊的マグマと言えるかもしれません。

本能的な透視能力があった古代の人々は、この霊的マグマに非常に敏感でした。それは現代人の多くが物質的な性質のなにか、例えば悪臭がする空気に非常に敏感であるのと同じようなことなのです。下品に聞こえるかもしれませんが、言ってしまうと、古代の本能的な透視の時代には、人々は空気中に存在するコウモリの排泄物に敏感であったのです。

 古代の人々はこの霊的マグマから自分たちを守りました。秘儀の学院には特別な処方があり、それによって人々は内面的に武装し、コウモリが放った残滓が支配する力を持たないようにすることができたのです。人間は、空気中の酸素と窒素のみを吸い込むのではなく、コウモリの発散物も吸い込んでいるのです。しかし、現代人は、このコウモリの残滓から身を守ろうとはしていません。ある条件下では悪臭にとても敏感なのに、コウモリの発散物にはまったく気づいていないのです。嫌悪感など微塵も感じずに飲み込んでしまっています。潔癖症な人たちが、私がお話したようなものを含んでいる空気を飲み込んでしまうというのは、とても奇妙なことです。しかし、これも体内へ入り込んでいるのです。確かに肉体やエーテル体には入りませんが、アストラル体には入っていきます。

 そうです、皆さん、私たちはここで驚くべき関連性を見出します。精神科学はいたるところで事象の深みへと導いていきます。コウモリが残したものは、私がこの講義で竜と表現したものが最も欲している栄養分なのです。しかしこのコウモリの残滓は、まず人間の中に吸い込まれなければなりません。竜は、人間の本能にこのコウモリの発散物を染み込ませて、人間の中に確固とした足場を見出します。そこでコウモリの発散物が湧き上がるのです。そうして竜はそれを食べて成長していきます。もちろん霊的な意味においてですが、竜は人間を支配する力を、極めて多様な方法で力を獲得して成長するのです。このような事態から、現代人は再び身を守らなければなりません。そして、その防護法とは、ミカエルの竜との戦いの新しいかたちとしてここで説明したものから得られるはずです。ミカエル衝動を自分の中に取り込むときに人間が得る内なる強さの増大は、竜が欲する栄養分に対する防護装置です。ミカエル衝動は大気中の不当なコウモリの発散物に対する防護装置なのです。”

1923

https://rsarchive.org/Lectures/GA230/English/RSP1970/19231027p01.html



.コロナウイルスと竜

 5で紹介した引用文について解説します。

 神経系はアストラル体の物質的表現です。コロナウイルスは頭痛、ふらつき、脳炎、味覚障害、てんかん、脊髄炎などの神経疾患を引き起こします。コウモリの発散物たるコロナウイルスがアストラル体に侵入するということは、それが呼吸器系から血液系に侵入し、最終的に神経系を攻撃することだと思います。

エーテル視力を持っていた時代の透視者は、コロナウイルスの本質を単なる物質とみなしませんでした。現代科学はコウモリの放つ物質のモデルが太陽コロナを連想させるので、コロナウイルスと名付けました。古代の秘儀はそれを「霊的マグマ」と呼び、体内に入るとそれを「竜の好む食べ物」と呼びました。

それでは、竜とは何でしょうか。リードビーターが原子の時間を止め、空間をナノレベルより遥かに小さく極限まで霊視したのと類したやり方で、古代の秘儀参入者も体内の竜を霊視したことでしょう。

 神経系にはナディと呼ばれる霊的な実質が沿うように流れています。各神経叢付近にはチャクラ(輪)が存在します。

チャクラは、脊髄と脳、中枢神経に沿って縦一直線に位置しています。尾骶骨付近に、クンダリニー(螺旋を有するもの)と呼ばれる霊的エネルギーが眠っています。脊髄から脳へイダ(陰、女性)、ピンガラ(陽、男性)と呼ばれる二つの管が、螺旋を描くように巻き付いています。これらの管の霊的形姿が、竜あるいは蛇と表現されたものなのです。カドゥケウス、ヘルメスの杖の蛇は、この竜と同一なのです。



蛇の頭、ヘルメスの杖の頂点には脳が位置します。アストラル体によってエーテル体を動かすわけですが、感染あるいは予防接種によって、神経系のアストラル体が攻撃されるなら、脳を使用したアストラル的活動、つまり思考活動に、それらは何等かの影響をもたらすのではないでしょうか。

感染症という病気に関して、脳炎などの物質的症状のことではなく、精神的活動に関する影響のことを問題にすることはできないでしょうか。

「ある種のサークル」は、「人類の精神的発達をすべて麻痺」させようとしています。神経系のアストラル体に作用することで、思考を操作されていないでしょうか。精神だとか、霊魂だとかを、正確に看取できないようにされているのではないでしょうか。

約百年前に普及し始めた予防接種によって、唯物論的傾向が広まり、最新型ワクチンの短期間の複数回接種によって、なお唯物論的傾向が加速するでしょう。人々は「気質と性格によって精神的なものをすべて拒絶し、それを愚行と見なす」ようになります。既に精神的発達を希求する活動は、少し変わった人間の趣向だとしか思われていないでしょう。唯物論は、時代の病気なのです。

竜は、コウモリの発散物を体内に取り込むことで暴れ出します。同様に、予防接種は抗体を生み出しますが、体内で竜が肥太る結果を招きます。竜は人間のアストラル体に作用し、人間の精神的発達を阻害します。現代の人類は新しい竜に対して、ずっと間違った対応をしています。正しい対応を見つけなければいけません。


.カエルの竜との戦いの古いかたち

どうすれすればコロナウイルスに正しく対処できるでしょうか。どうすれば予防接種の弊害を克服することができるでしょうか。霊的マグマから身を守った古代の秘儀とは何だったのでしょうか。大昔の竜伝説にヒントがあるはずです。

 中世ヨーロッパにおいて、キリスト教の聖人・ゲオルギオスが竜を退治した伝説があります。

ある日、毒気を振りまく巨大な竜が現れました。人々は羊の生贄を捧げて竜を鎮めようとしましたが、竜は暴れ続けました。すべての羊を捧げ尽くしてしまい、いよいよ人間を生贄に捧げなければならなくなりました。くじで生贄に選ばれたのは王女でした。王様が困惑していたところにゲオルギオスが現れました。ゲオルギオスは竜の口に槍を差し、竜を退治しました。


元々この伝説は、トルコ・中東地域を舞台としていたもので、後にキリスト教圏に持ち込まれ西洋化したものです。竜は元来、蛇として伝承されていました。

ゲオルギオスの竜退治の伝説にみられる毒気の放つ竜を、疫病のことだと考えることはできないでしょうか。古代人は、エーテル視力と言うべき知覚能力を持っていました。人間の知性と自意識の発達に反比例するように、エーテル視力は失われていきました。竜伝説はもう新たに生まれることはないでしょう。人間のエーテル視力は光学顕微鏡に取って代わりました。

日本にも、もう竜はいないにせよ、当時の人々が正しく疫病に対処したと思われる行事が残されています。京都の祇園祭です。


荘厳な山鉾が京都市内を巡行することで有名な祇園祭は、平安時代に始まったとされる行事で、明治時代まで祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれていました。御霊会とは疫神を慰め人間界から送り出す行事のことです。元々平安京が位置する場所は盆地で湿気が多く、感染症が流行しやすかったのでした。当時の人々は、疫病が怨霊によるものと考えていたのでした。(そしてそれは、アストラル体を考慮すれば、決して迷信の一言で片づけてよいはなしではありません)。

唯物論的な価値観に染まってしまった現代人は、土着の伝説や、それらを伝承するための祭事や宗教行事を、くだらない迷信だと考えているかもしれません。神社に参拝するのに何を祀っているのか知らない、クリスマスを祝うのにイエス・キリストが語ったことを知らない、墓参りはするのに死後のことを知ろうとしない。そうして今ではそのような迷信化した
行事すらも消失しようとしています。唯物論を克服できない現代人は、目に見えない何かへの敬意、生きとし生けるものへの愛、神々に対する畏敬の念を、ほとんど完全に忘れてしまっているようです。

日本民族は、祀り事から発展した、あるいは風土に根差した独自の感染症対策ともいえる風習、生活様式を持っていました。家の中では靴を脱いだり、日々の掃除を心掛けたり、礼節を重んじたりする習慣は、民族を感染症から守ってくれた公衆衛生学だったと言えるでしょう。今世紀のパンデミック騒動において、決して古来の生活様式だけで感染症から守られるとは言いませんが、それでもほとんど全員が予防接種を受ける必要はなかったでしょう。文化・風習に根差した日本固有の衛生学は、予防接種によって、西洋文明がもたらす衛生学に上書きされてしまいました。

現代の衛生学、神経質なまでに自然界から人間を切り離そうとする異常な感染対策は、肉体のことを扱っても魂のことを正しく踏まえることができません。日本文化に根差した清潔原則のようなものは、決して人間と自然とを区別したりしません。人間も自然の一部であり、宇宙の一部であり、一人の人間は宇宙そのもの、ミクロコスモスです。それなのに、間違った世界認識、つまり唯物論は、宇宙から、自然から、社会から、そして他者から個人を切り離そうとする感染対策を作り上げています。それは精神の否定のように見えます。

コロナウイルスに限らず、すべてのウイルスや細菌による感染症への対処、ミカエルの竜との戦いの古いかたち…。それは、人々が畏敬の念を持ち、共同体の社会的行事にそれを集団として投影することであったと思います。昔の人々は、畏敬の念によって体内で黴菌が繁殖するのを防いでいた可能性があると思います。

非常に心を重苦しくさせることでも、伝えておかなければならないことがあります。唯物論は、民族の健康を破壊するのです。子供たちに従来型ワクチンの接種に加えて、最新型ワクチンの接種をさせたことは、その弊害を克服できない場合、彼らのエーテル体を含めた全人としての肉体だけでなく、未来の子孫たちの肉体にも問題を抱えさせることになるでしょう。

疫病が猛威をふるったかつての暗黒時代が、再びやって来るのです。



.オリフィエル

“…細菌について多くの話題があります。実際、細菌は多くのことに影響を及ぼします。将来、細菌は恐ろしいほど増えて、人間のからだは恐ろしい病気や疫病で衰弱していくでしょう。罪の烙印が人体に押され、誰の目にも明らかなものとなるでしょう。その時、別の大天使・オリフィエルが支配することになります。オリフィエルは、恐ろしい苦痛を与えることで、人類に本当の使命を気づかせるためにやって来るに違いありません。このことが正しい方法で実現できるように、今から400600年後の暗黒時代における秘教生活を広める少人数の人々が、準備されなければならないのです。”

1907

https://rsarchive.org/Lectures/GA266/English/UNK1998/19071205e01.html


西洋秘教には、星の位相に基づいた約300350年ごと七つに区分される、大天使(アルカイ)の支配期間があります。ミカエル(太陽)、オリフィエル(土星)、アナエル(金星)、ザカリエル(木星)、ラファエル(水星)、サマエル(火星)、ガブリエル(月)と、七曜と逆の順番に支配星が割り当てられています。現在は太陽を支配星にもつ博愛の大天使・ミカエルの時代で、その次がオリフィエルの時代になります。

 七つの支配期間が一巡すると、再び最初の大天使が人類を導きます。「ミカエルの竜との戦いの新しいかたち」は、現代におこなわなければならない戦いのかたちでしょう。一方、「ミカエルの竜との戦いの“古い”かたち」と言うと、前回ミカエルが活動した時期に該当します。コウモリの霊的マグマに対処した古代の秘儀は、この時代のものでしょう。竜伝説が成立した時代、あるいは竜伝説の最後の時代です。

数百年後、オリフィエルの時代に突入すると、自然界の復讐が始まります。疫病が流行し、誰の目にも明らかな「罪の烙印」が皮膚に現れるでしょう。それは今世紀の感染症流行とは比較にならないものになるでしょう。

現代においては馬鹿げたことにみえたとしても、いずれマスクは手離せなくなるでしょう。そうしてマスク程度ではどうにもならないでしょう。新たなウイルスや細菌が人間を襲います。それは宇宙時計の針が進み、自然界と人間界との関係が変わるために必然として起こります。この未来の必然において、悪魔は「ある種のサークルの活動」を通じて、自然界ではなく人間界の方に作用することで目的を達成するために、次の時代の準備をしています。

予防接種の真の影響は、14世代後に現れるのです。


第六の喇叭は既に鳴った

.予防接種のオカルト的意図

 秘教が伝えるところでは、人間は遺伝を通じて、14世代ごとにその全人としての在り様が大きく変化します。自我とアストラル体の成果が、子孫に現れるのです。

 ヘブライ民族の祖、アブラハムは、民族の中で最初に論理的思考力を獲得した人間です。彼のお陰で14世代後のヘブライ民族は、エーテル体が発達し、28世代後にアストラル体が発達し、42世代後になると、「私」と言うことができる自我が発達したのです。そのようなヘブライ民族の資質が成熟した時に、民族の魂と行為において、その資質を表現する一人の個人・イエスが、キリストを宿し活動したのです。



 イエス・キリストが磔の刑にされ、彼のエーテル血が地表に流れ落ちたことで、地球の霊的特性が大きく変化し、人間は愛の萌芽とでも言うべきものを獲得できました。約2,000年後、人類はこの愛の萌芽を一段発達させる義務が課せられています。愛の萌芽とは、自我、自意識のさらなる発達を意味しています。オリフィエルの時代に、再びキリストが新しいかたちをとって、エーテル界に現れるのです。そこで人類は一つの試練を受けることになります。

 過去の人間の霊的素養が遺伝するならば、その欠陥もまた遺伝する可能性があります。ミカエルの時代の予防接種は、今からおよそ14世代後、オリフィエルの時代に人間の霊的素養が失われるように仕掛けられたものです。一世代を33年と仮定すると、14世代後は462年後になります。予防接種が普及し始めた百年前を起点にするにせよ、今世紀の新型ワクチンの接種を起点にするにせよ、462年後はオリフィエルの時代に該当します。唯物論の悪魔は、人類のほとんどがエーテル界に現れるキリストを看取できないようにしているのです。

2,000年前の大衆の多くがイエスの中のキリストを認識できなかったように、数百年後の大衆の多くもエーテル界のキリストを認識できないでしょう。それは、愛をひとりの人間存在に組み込むことに失敗する、ということなのです。「ある種の予防接種によって人体に影響を与え、魂の精神的性向に場所を提供しないようにする」ことで、人間の魂を進化から落第させようとしています。コロナウイルスへの感染か予防接種によって、竜が人間から精神的特質を奪おうとしています。

 従来型の予防接種から、約百年経過しました。今世紀の予防接種運動が始まる以前から、既に多くの人々が唯物論に捕捉されていたのではないでしょうか。

多くの人間が唯物論的な極端な利己主義者になっているように見えます。過剰な自己愛が強調され、肯定される社会になっています。価値観の異なる相手を尊重しようとはせず、屈服させるのが正義だと信じているように見えます。

他者の立場、意見の異なる相手、別の価値観を尊重できない人間、自分を省みる魂の力がない人間、「精神的発達をすべて麻痺」させられた人間は、目先の損得勘定だけ考えるようになり、罪の概念が薄れていくでしょう。

博愛の大天使の時代に、人を愛せなくなっていないでしょうか。そのように人々をさせることが、「ある種のサークルの活動」を通じて、行われているのです。



10.ミカエルの竜との戦いの新しいかたち

 予防接種の霊的弊害を克服するために、「ミカエルの竜との戦いの新しいかたち」と表現されることを実践する必要があります。それは、愛を芽生えさせることです。

黴菌がとてもたくさん繁殖するのは、私たちが唯物論的な思考をベッドに持ち込む時なのです。黴菌を繁殖させるには、唯物論的な考えだけで眠りに入り、霊界から自我とアストラル体を使って、血液や神経系以外の臓器に働きかけること以上に適した方法はありません。同じように黴菌が繁殖する別の方法は、流行病や風土病の中心に住み、病気になることへの恐怖だけで満たされ、周りが病気であることだけを考えることです。これもまた繁殖に効果的でしょう。そのような場所で、病気への恐怖だけが生まれ、その思いのまま夜眠りにつくと、恐怖を孕んだイマジネーション、残像が生まれるのです。本当にこのことは黴菌を培養し育てる良い方法なのです。この恐怖を、たとえば積極的な愛や、病人の世話をしながら自分も感染しているかもしれないということを一時でも忘れることで、少しでも減らすことができれば、黴菌が繁殖する条件が少なくなるのです。”

1914

https://rsarchive.org/Lectures/GA154/English/AP1990/19140505p01.html


 2,000年前の人類は、竜に対して畏敬の念をもって防護しました。2,000年後、人類は利他的精神を表現することで、竜に対処できると思います。博愛の大天使ミカエルが人類に要求する竜との戦いの新しいかたちとは、唯物論的思考を脱却し、恐怖や不安の感情を克服し、他者を愛することだと思います。

感染症に罹患した人に対して、不安にならずに愛をもって接するべきだからといって、極論に走り感染対策をしなくて良いということではないでしょう。重症化するほど体内で黴菌が増殖した人に対しては、十分な感染対策をした上で、恐怖や不安の感情を克服し、愛をもって看病すべきです。現代の異常な感染対策の問題は、人々に不安を煽り、病気への恐怖を四六時中抱かせるように強いたことにあります。利己主義者の自己愛に基づく社会活動が蔓延する世界は、いつでも黴菌が繁殖できる良い土壌になってしまっています。この傾向を今から克服しようと努めなければ、暗黒時代を乗り越えることができないでしょう。「ミカエルの竜との戦いの新しいかたち」を、銘々に心に思い浮かべ、利他的精神を日々の生活の中に表現すべきだと思います。



〇まとめ

愛を、共同体レベルから個人レベルで表現することが、「ミカエルの竜との戦いの新しいかたち」だと私は思います。

 かつて宗教は、他者への愛、自然への敬意、不可視の存在に対する帰依などを教えてきました。仏教は、生きとし生けるものへの愛、殺生の禁止、輪廻からの解脱を説きました。戒律の厳しいイスラム教は、神の教えに帰依することを求めました。いつか人間が、法を必要としなくとも罪を犯さない存在にまで進化することを目的としています。キリスト教は、悔い改めること、罪を懺悔することを人々に求めました。それは現代人が唯物主義を振りほどくのに必要な、魂の力です。

 これらの宗教を今から信仰すべきだと言いたいわけではありません。これまでどおりの生活を続ける中で、愛を、利他主義を表現しようと努めてほしいと思います。

 これまで語ってきたことを、直ぐに受け入れることができるとは考えてはいません。しかし時が経てば、いずれ理解されると信じています。


要 旨

・コロナウイルスの存在は古代人も知っていた。大気中では「霊的マグマ」であり、体内では「竜の好む食べ物」であった。

・予防接種は人類の精神的発達を阻害する。その悪影響は遺伝する。

・予防接種の悪影響を克服できない場合、人類は14世代後に大きな問題をもたらす。

・古代人は共同体レベルでの畏敬の念を表現する祀事によって感染症に対処した。よく研究すれば次の暗黒時代に備えることができる可能性がある。

・現代人は利他主義を個人レベルで表現することで感染症に対処する。

・唯物論を克服することが求められている。

ニール・C・浦島 拝


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