受肉したルシファー(その3)

 その2のつづきです。

 アトランティス大陸崩壊後、現在のトルクメニスタン付近やゴビ砂漠付近に逃れた人々が住んでいた都市は、砂に埋もれて失われてしまった。(*モンゴロイド自体は、アトランティスを経由していないらしい。古代エジプト文明もこの時埋もれた。)

 ちなみに、インド(パールランド)は埋もれず、アジア大陸とぶつかりヒマラヤ山脈を形成した(崑崙山の伝承が生まれたのはこのためだろうか?)だけだから、頑張って探せば、超古代文明の名残が発見されるかもしれない。( ´∀` )

 
wiki
 さて、ゴビ砂漠の付近に、ルシファーが受肉した秘儀センターの残照や、マニ教の痕跡に関するものが、ある。


 それは、敦煌市にある莫高窟(ばっこうくつ)と、そこで発見された敦煌文献である。
wiki 赤印が敦煌市。ゴビ砂漠西部になる。

【莫高窟(ばっこうくつ)】・・・敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置されている。・・・作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされる。(wiki

【敦煌文献】・・・ 1900年に敦煌市の莫高窟から発見された文書群の総称である。長らく莫高窟の壁の中に封じられていたものが、道士・王円籙(おうえんろく、籙は竹冠に録)により偶然に発見された。…文献の大半は漢語で書かれており、内容は仏典である。しかし他にチベット語・サンスクリット語・コータン語・クチャ語・ソグド語・西夏語・ウイグル語・モンゴル語などがあり、内容もゾロアスター教・マニ教・景教(ネストリウス派)などの経典、唐代の講唱の実態を示す変文、あるいは売買契約書や寺子屋の教科書などの日常的な文書も残っており、失われた言語・宗教をこの文献より一部復活させたり、当時の民俗・政治の実態を知る上で非常に貴重である。wiki

『ヘブライ語免罪符断簡』(8世紀または9世紀)(wiki)

 注目したいのは、ゾロアスター教・マニ教の経典やヘブライ語の書簡など、人智学的に人類の進化において重要な文化期を支配した文明・地域の書物が保管されている点である。ここで考えられるのは、人類にとっての重要な記録を保管する使命にかられた秘儀の使徒たちが、かつてルシファーが受肉した秘儀の学院のあった地域に持ち運んだ、ということである。ルシファーが受肉した学院は、秘密の聖なる地として重んじられたのかもしれない。 

 また、敦煌文献が発見・略奪された経緯から、霊的な重要性が感じられる?
 1900年、莫高窟の第16窟の中にいた道士・王圓籙(中国語版、英語版)が崩れ落ちた壁の中に四畳半ほどの空間(耳洞)があることを発見し、その中に封じられていた大量の経典・写本・文献を発見した。発見に至る経緯については王円籙の証言にも食い違いがあり、はっきりしない。ところが王円籙は字が読めなかった。取り扱いに困った王円籙はこのことを地方官に報告したが、適当に処理しておけと言うだけで見向きもしなかった。この空間は後に第17窟と番号付けされ、「蔵経窟」「宝庫」などと呼ばれることになる。
 この噂をどこからか聞きつけてやってきたのがイギリスの探検家、オーレル・スタインである。1907年、スタインは王円籙を言いくるめてわずか馬蹄銀4枚(約500ルピー)の代価に数千点余りの経典の数々をロンドンの大英博物館へと持ち帰った。この功績によりスタインはSirの称号を受けている。翌年に今度はフランスのポール・ペリオがやって来た。ペリオは中国語に精通しており、山積みの文献の中から特に価値の高いものを選んで数千点を買い取ってパリへ持ち帰った。
 この話を聞いた清朝政府はようやく敦煌文献の保護を命じ、北京へと持ち帰らせた。しかし王円籙は一部をまだ隠し持っており、その次にやってきた日本の大谷探検隊(1912年)やロシアのオルデンブルク探検隊(1914年)に数百点ほどを渡している。その後やってきたアメリカのウォーナー探検隊(1924年)は壁画を薬品を使って剥いで略奪していった。(wiki
 ・・・当時の列強各国が、漏れなく略奪していった。この行為が、小生にはアーリマンを連想させる。

 人智学では、かつて、モンゴルの”ジンギスカンによるヨーロッパへのルシファー的な攻撃の釣り合いを取るように、アメリカ大陸が発見された。”(『シュタイナー用語辞典』)とある。

 そして、小生が思うに、黒船が日本に来航し、日本が西洋化し、列強国の一つとして中国を侵略したことで、魔物たちが地球を一周したことになる。

魔の影響は偏西風の逆
 魔のリング、完成。 (´;ω;`)ウゥゥ 


 
(魔のリングが完成した頃が、グローバリゼーションの始まりだろうか? ミカエルと龍の戦い(AD.1841(霊界)黙示録12章)と関連しているだろうか?)

 話をもどそう。 

 敦煌にはもう一つ、手掛かりがある。それは、月氏の存在である。
 敦煌の名前は後漢の学者応劭によると「大にして盛ん」と言う事だが、実際には紀元前からこの地を支配していた月氏の言葉の音訳であるようだ。(wiki
【月氏(げっし、拼音:Yuèzhī)】・・・紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる 。(wiki

 月氏の由来・言語系統はまた分かっていない。と、いうより、ここがマラルプレイシー国のあった場所だから、この地域が周辺言語の語源の一つだろう。

 ”月”氏といえば、もうあれしかない。


【月(Mond)】・・・天使の支配領域。・・・レムリア時代に土星神霊によって、月は地球の邪悪な衝動を持って、地球(太平洋)から分離した。月が分離したことによって、地上の人間は肺呼吸を始め、男女に分かれた。それ以来、月から地球に、引きずり下ろす影響が及んでいる。月が地球から分離したことによって、心魂界一般に邪悪な心魂界が組み入れられた。神智学で<月のピトリ>と言われる存在は、天使・ルシファーのことである。・・・
  つまり、月氏の存在は、秘儀の学院でルシファーが受肉したことの残照である可能性を示している。

 東アジアで太陰太陽暦(旧暦・中国暦) を使用していたことも、このルシファーの受肉か、またはマラルプレイシー国の存在にまでさかのぼるだろう。


 ・・・


 ここまでで、ルシファーの受肉した場所や背景は、あらかた絞り込めたとは思うが、受肉したルシファーそのものの特定には到底至っていない。次回、古代中国の伝承などから、人物を推定していこうと思う。(まあ、無理かな・・・。)

 つづく。

受肉したルシファー(その4)



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