受肉したルシファー(その4)

その3のつづきです。

 アトランティス大陸崩壊後、現在のトルクメニスタン付近やゴビ砂漠付近に逃れた人々が住んでいた都市は、砂に埋もれて失われてしまった。この地域の、秘儀センターの一つと思われる莫高窟の敦煌文献や、月氏の存在は、受肉したルシファーに関連する残照のようなものである。

 古代中国の伝承から、受肉したルシファーについて考察していく。

 ルシファーの象徴は、月であり、人智学によれば、”円”である。


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 円をイメージできるのは、中国発祥の太極図であろう。


wiki

”『易経』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」に由来し、宋易(宋代から興起した朱子学系統の易学)や道教において重視された。”(wiki
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  陰陽道の起源は中国で、歴史が始まったころには既に存在していた。この太極図を用いた易を八卦という。

 伝説によると、八卦を発明したとされているのが、中国の祖、伏義

伏義座像(南宋)wiki


【伏儀】・・・ 伏羲(ふっき・ふくぎ、- Fu Hsi または Fu Xi)は古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。宓羲・包犠・庖犠・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多い。姓は風。兄妹または夫婦と目される女媧(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれることがある。
  西北にある華胥(かしょ)国の娘が雷沢(らいたく)の地で大きな足跡を踏み、その時に宿した子が伏羲であったとされる。 
 『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)をつくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、また魚釣りを教えたとされる。(wiki英語版では紀元前2000年頃と記載されている)。書契や八卦を定めたことは、黄帝の史官蒼頡によって漢字の母体が開発されたとされる伝説以前の文字に関する重要な発明とされる。漢の時代に班固が編纂した 『白虎通義』によると、家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製を含む武器の製造を開発し、婚姻の制度を定めたとある。』も、著者として伏羲が仮託されている。
 伏羲と女媧は兄妹であり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説が中国大陸に広く残されている。(wiki

また、wiki英語版には、
The Figurists viewed Fuxi as Enoch, the Biblical patriarch.
*Figurist(易経で聖書を解読しようとした人々)は伏義を聖人であるエノクと同一視していた。
とあり、さらに、エノクはイスラム教の預言者イドリースとも同一視されることがある。・・・ああ、聖書につながってしまう(´;ω;`)ウゥゥ 

 この伏義の伝承だが、洪水前のレムリア・アトランティス時代の内容が見て取れるので、紀元前2000年ごろに受肉したルシファーそのもの、とは言い難い。ただ、受肉したルシファーと、同様な霊的存在が、または、まさに同一の存在がレムリア・アトランティス時代にもいたのかもしれない。

 紀元前2000年に易経を発明した中国の祖、伏義と、同じ頃に中国西部に受肉したルシファーは、深い関連がある、くらいは言えるだろう。しかし、それ以上の手掛かりが見当たらない・・・。

 ・・・その5はだいぶ先になりそうだ。

 つづく(かもしれない)。

 受肉したルシファー(その1)
 受肉したルシファー(その2)
 受肉したルシファー(その3)



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